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大阪地方裁判所 昭和37年(ワ)4019号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判決理由】

一、原告等主張一(編注・当事者の身分関係と家督相続の点)、二(注・墓石に記載された碑文の内容)の事実および被告の建てた茂一の墓が池田市上渋谷町新開一五九番地の部落の共同墓地に存すること、原告佐内が池田市上渋谷町に居住し、原告伊三郎がその近在の川西市東多田に居住していることは当事者間に争がない。

二、そこで右墓の碑文中原告等の指摘する(一)(二)の点が原告等の名誉を毀損するものであるかどうかについて考察する。

まず(一)のうち、与之祐と原告伊三郎が共謀のうえ、茂一および被告の親権者母つぎにおいて茂一に代つて同一所有の不動産を他に贈与するという文書および被告に代つて被告所有の不動産を他に売却するという文書を偽造し、与之祐が茂一および被告所有の家屋宅地田畑山林等不動産の八割を横領したという趣旨の碑文について検討しよう。

被告は右碑文記載の事実は真実に合致するものであるから違法ではないと主張する。しかし、北浦佐兵衛の長男佐太郎が大正二年九月一〇日死亡し、次いで戸主佐兵衛も大正三年九月一〇日死亡したので、佐太郎とその妻つぎの間に大正二年一〇月八日出生した茂一が家督相続をしたこと、原告伊三郎が佐兵衛の二男、与之祐が三男であることは当事者間に争がなく、<証拠>によれば、大阪区裁判所が大正五年二月一八日茂一のための親族会員に原告伊三郎、南野安右衛門、植村りきの三名を選定し、茂一に代りその親権者母つぎが茂一所有の不動産を他人に贈与するにつき同意のため親族会を同年二月二八日招集する旨決定し、大正九年三月二二日被告(明治四四年一月三〇日生)のための親族会員に右三名を選定し、被告に代りその親権者母つぎが被告所有の不動産を他人に売却するにつき同意のため親族会を同年三月二九日招集する旨決定したこと、茂一所有の田畑山林宅地家屋等を与之祐に贈与する旨記載した茂一の親権者つぎ名義の与之祐宛大正五年三月九日付、大正五年四月一一日付各贈与証書および茂一の所有する山林を北浦夕子に贈与する旨記載した親権者つぎ名義の夕子宛大正五年三月九日付贈与証書が作成され、右日付の翌日贈与を原因として与之祐および夕子のため右不動産の所有権移転登記がなされたこと、大正九年被告および茂一所有の田等を売却する旨記載した親権者つぎ名義の売渡証書が作成され、その不動産につき所有権移転登記がなされたことが認められるけれども、<証拠>中右贈与証書は原告伊三郎等が勝手に作成したものであるという部分はたやすく措信しがたく、他に与之祐および原告伊三郎が茂一および被告の親権者つぎにおいて茂一および原告に代りその財産を処分するという文書を偽造したことも、与之祐が茂一および被告所有の不動産を横領したことも、これを認めるに足る証拠がない。また碑文には原告両名および与之祐が検事から「北浦茂一ト同タツエノ財産ヲ横領スル迄モ悪イガ横領シテカラモ悪イワイ誰ノ恩恵デ其様ニシテ居ラレルト思ツテルカ茂一トタツエノ財産ヲ横領シタカラジヤナイカ」と言われたとあるけれども、<証拠略>他に右事実を認めるに足る証拠はない。却つて前記認定の事実および<証拠>に弁論の全趣旨を考えあわせると、北浦家は代々農業を生業としてきたものであつて、戸主佐兵衛死亡当時同家には田畑三町余、山林約四町、木造瓦葺平家建本家一棟ほか七棟の家屋とその敷地があり、その家屋に佐兵衛の妻夕子、その三男与之祐、長男亡佐太郎の妻つぎ、その子茂一および被告が同居していたこと、茂一は北浦家の家督相続をしたけれども、当時同人は未だ一才にも達せず、その母つぎも二六才の若さであつて家業を継続していくのは容易でなく、加えてつぎと夕子等婚家の者との間が円満を欠いていたこともあつて、夕子、原告伊三郎、与之祐等は茂一の相続した財産の大半を与之祐に分与させ、事実上与之祐に家業を承継させようと考え、茂一の相続した不動産のうち田畑一町八反余、山林四反余と家屋敷全部を与之祐が、山林二町一反余(以上いずれも公簿面積を夕子が取得して、同人等がその家屋に居住し、つぎをその実家の離れに居住させ、残余の不動産を以て子女を養育させることにしようとしたこと、つぎはこれに不満であつたが、結婚してなお日も浅く、夫も亡いこととて、やむなく姑等の意向に従うことにした(但し前記家屋のうち離家一棟は茂一が必要とする場合には与之祐において無償で茂一に返還するものと約した)こと、かくして佐兵衛の弟南野安右衛門、つぎの姉植村りきおよび原告伊三郎が茂一のための親族会員に選ばれ、その親族会の同意を得て、茂一から右不動産が与之祐および夕子に贈与され、夕子は大正五年四月二一日与之祐を伴つて分家し、つぎは茂一および被告をつれて実家に帰り、その離れに居住するようになつたことが窺われるのであつて、茂一の財産を与之祐に贈与することは、つぎにとつて不本意であつたけれども、適法になされたものといわざるをえない。

しかも与之祐および原告伊三郎が文書を偽造して茂一や被告の財産を横領したというような事実を茂一の墓碑に記載することはいささか不自然であり、また茂一の死亡により家督相続をした被告が昭和二一年与之祐を相手方として大阪地方裁判所に不動産所有権登記抹消の訴を提起し、昭和二四年六月二〇日裁判上の和解が成立したことは当事者間に争がなく、<証拠>によると、右和解は与之祐が被告に金四〇、〇〇〇円を支払い、被告が前記のように大正五年三月一〇日、同年四月一二日与之祐のためになされた贈与を原因とする不動産所有権移転登記の適法であることを確認し、その不動産につき将来なんらの名義を以てするを問わず異議の申立をせず、かつ、与之祐に対し、前記離家一棟および仏壇の返還請求をしないと定めたものであることが認められ、これらの事実と<証拠>を考えあわせると、被告が墓碑に前記事実を記載したのは、与之祐等が茂一の相続した財産の大半を取得したことに対する積年の憤懣から、これに関する事実を部落の内外に知らせて、与之祐および原告等に対する声価を低下させ、同人等に精神的打撃を与えることを意図したものであることが窺われ正当な目的に出たものとはいえない。

したがつて、前記碑文の記載は原告伊三郎の名誉を毀損するものであり、また原告佐内が与之祐の長男であり、与之祐が墓の建立後死亡したことは当事者間に争がなく、原告佐内が与之祐と共に与之祐において茂一から贈与を受けた前記家屋敷に住み田畑山林等を耕作して農業を営み、与之祐の死後相続してこれを継続し、町内会長、民生委員等をしていることは<証拠>により明らかであつて、前記のような事実を記載した墓碑を部落の共同墓地に建てていることは、与之祐の名誉を毀損するとともに、原告佐内に対する社会的評価にも影響を及ぼし、その名誉を傷つけるものであるといわなければならない。

三、ところで、夫佐太郎および義父佐兵衛の死後、つぎが姑や原告伊三郎等の要請によつて茂一の相続した家屋敷の全部と田畑山林の大半を与之祐等に贈与して婚家を去り、茂一および被告をつれて実家に行き、その離れに居住するのやむなきに至つたことはすでに述べたとおりであり、<証拠>によれば、当時実家にはすでに父母は亡く、姉カツに入夫婚姻した被告伊三郎が主宰していたのであつて、つぎは原告伊三郎から格別援助を受けなかつたのみか、実家の離れに居住するについて原告伊三郎から家賃を徴収されるような状態であつたが、他に頼る者もないこととて他所に移るすべもなく、与之祐等に贈与した残りの田畑等からあがる年貢とつぎが近隣の子女に教える裁縫の教授料とを以つて被告と茂一とを養育し、同所から同人等を学校に通わせ、昭和七年四月漸く茂一が第四高等学校に入学したので、茂一および被告と共に金沢市に移住するようになつたことが認められる。以上の事実に徴すると、「北浦つぎ同茂一同タツエノ母子三人ハ北浦家ヲ追出サレ北浦つぎノ実家デアル兵庫県川西市東多田六六三番地藪内カツに入夫シタ伊三郎方ニ強制同居サセラレテ与之祐ニ横領サレタ残リノ不動産カラ入ル収入デ自活シ此処ヨリ北浦茂一ハ大正九年四月兵庫県川西市多田尋常小学校ニ入学シ」云々という碑文は、「与之祐ニ横領サレタ」という点を除き、その表現にいささか誇張のきらいがないではないがほぼ事実に合致するものであり、かつ、その事実自体、殊に大正初年頃の農村においては、著しい悪事醜行に当る事柄でもないから、被告が弟を追慕しその生涯の一駒としてこれを多少誇張して碑文に掲げても、原告等の名誉を毀損する違法行為として、特にとりあげて問題にしなければならないほどのものではない。

四、次に(二)の点について検討する。茂一が原告伊三郎方で急死したことは当事者間に争のないところであるが、茂一が毒饅頭を食べさせられて死亡したことを推測させる資料も、原告伊三郎あるいは与之祐が茂一を殺害したことを窺わしめる証拠もない。<証拠>によれば、茂一は昭和二〇年一〇月復員してつぎ等と京都市に居住していたが、原告伊三郎からその長男亡靖の法事に招かれて昭和二一年一月九日原告伊三郎方に赴き、滞在中、同年一月一二日急死したものであり、医師加藤時也は茂一の死亡直後診察し、心臓麻痺に因る死亡と判断し、死因について格別不審を抱なかかつたことが認められるのであり、被告は加藤医師が茂一を生前診察したことがないのに死亡診断書を作成し、死体検案書を作成しなかつた点に疑をもつもののようであるが、たとえその点の処置が不当であつたとしても、そのことから直ちに茂一の死因に疑惑があるものとはなしがたい。

碑文は茂一が急死したことにつき、原告両名と与之祐が昭和三〇年一二月大阪地方検察庁に呼出され、検事から「茂一ハ藪内で毒饅頭ヲ食ベサセラレテ死ンダト言ウ事ガワシの耳ニ入ツテルカトヤ?早イヤロガナ」と言われ、原告伊三郎、与之祐がその事件で起訴猶予になつたかのようにいうけれども、<証拠略>他に原告伊三郎、与之祐等が茂一の死亡したことについて検事の取調を受けその事件で起訴猶予になつたことも、原告両名および与之祐が検事から右のように言われたことも、これを認めるに足る証拠がない。

したがつて原告伊三郎、与之祐等が茂一を毒殺したかのような印象を与える事実を碑文に記載することは、原告伊三郎および与之祐の子である原告佐内の名誉を毀損するものというべきである。

五、かように被告は与之祐および原告伊三郎が偽造文書を作成して茂一および被告の不動産を横領し、茂一を殺害した事実を認むべき資料もないのに、そのような事実を記載した墓碑を部落共同墓地に存置することによつて、名誉毀損行為を継続し、現に原告等の人格を違法に侵害しているのであるから、原告等はその排除を求めうるものというべきである。

そして墓碑中右事実を記載した個所は別紙碑文の傍点を附した部分であつて、その余の部分は格別原告等の名誉を毀損するものとは認められないから、結局被告は墓石に刻まれた碑文中右傍点部分を削除しなければならない。

六、さらに、被告の右名誉毀損行為によつて、原告等が少なからず精神的苦痛を受けたことは、<証拠>に徴し明らかである。

原告等はその損害の填補として被告に対し新聞紙上に謝罪広告を掲載すべきことを求めるけれども、主文第一項のとおり原告等の碑文削除の請求を認容すれば、原告等の右精神的苦痛がかなりの程度慰藉されるであろうことは原告伊三郎、同佐内各本人尋問の結果によつて推察しうるところであり、名誉毀損が山間部の部落の共同墓地に建てた墓碑の記載によるものであること、その他諸般の事情に照らし、被告に対し原告等の名誉を回徴するための謝罪広告を命ずるのは相当でないと考える。(石川 泰)

故 陸軍軍医大尉正七位 北浦茂一之墓

北浦茂一ノ履歴

本籍 大阪府池田市上渋谷町弐拾五番地北浦茂一

右ハ祖父母北浦佐兵衛同タネノ長男北浦佐太郎同つぎヲ父母トシテ其長男トシテ大正弐年十月八日出産シタガ同年九月拾日父ノ北浦佐太郎ガ死去シタノデ北浦茂一ト同佐太郎ノ弐女タツエガ此遺産相続人トナリ大正参年九月拾日祖父北浦佐兵衛モ死去シタノデ法律ニ基イテ茂一ガ其家督相続人ニ決定サレテ北浦家ノ全財産及ビ家督ノ相続ヲシテ相続税モ納メタガ大正五年弐月拾八日附デ同年(ウ)第一五八号ヲ北浦佐兵衛ノ参男与之祐ト同弐男藪内伊三郎ガ共謀シテ北浦茂一所有ノ不動産ヲ親権者母つぎガ代ツテ他人ニ贈与スルト云ウ偽造ノ決定文書ト大正九年参月弐拾弐日附デ同年ウ第五六一号モ北浦タツエ所有ノ不動産ヲ親権者母つぎガ代ツテ売却スルト云フ弐ツノ偽造ノ決定文書ヲ作成シ之ニ母つぎヲ脅迫強迫シテ盲判ヲ押サセテ茂一タツエつぎ不知ノ内ニ大阪区裁判所ニ届出テ北浦茂一所有ノ家屋及び宅地田畑山林トタツエ所有ノ山林等全不動産ノ内八割ヲ北浦与之祐ガ法律違反ニ因ツテ横領シ北浦つぎ同茂一同タツエノ母子三人ハ北浦家ヲ追出サレ北浦つぎノ実家デアル兵庫郡川西市東多田六六三番地藪内カツニ入夫シタ伊三郎方ニ強制同居サセラレテ与之祐ニ横領サレタ残リノ不動産カラ入ル収入デ自活シ此処ヨリ北浦茂一ハ大正九年四月一日兵庫県川西市多田尋常小学校ニ入学シテ六年ヲ卒業シ続イテ大阪府立北野中学校五年ト第四高等学校理科三年ヲ経テ昭和十五年三月三十日京都帝国大学医学部医学科四年ヲ卒業シテ同学部外科教室ニ入リ同年四月三十日医師免許証第九四二八一号ヲ授与サレタガ同年五月十五日陸軍軍医候補生トシテ熊本第十三跡隊ニ入当シ同年七月二十二日陸軍軍医中尉二任官従七位ニ叙セラレテ高射砲第十聯隊附ヲ仰付リ満州国ニ出征シ昭和十七年七月二十二日予備被仰付ル同年同月二十三日臨時召集ヲ命ゼラレ昭和十九年九月十五日正七位陸軍軍医大尉トナリ満州国内ヲ隊附又ハ病院附軍医トシテ日夜衛生業務ニ精励シ来テ昭和二十年十月一日附正明市駅デ召集解除サレ復員シタガ昭和十八年三月二十七日附藪内伊三郎ヨリ満州国東安省鶏寧第四六四一部隊北浦茂一宛ニ出シタ「前略 是非御帰国ノ際御来越ノ程願上候 後略」トノ書信ヲ受ケタ後再度藪内側故人ノ法事ヲ行ウカラ是非来テクレト伊三郎カラ頼マレタノデ北浦茂一ハ昭和二十一年一月九日京都市左京区北白川東平井町一番地ノ自宅ヨリ藪内側ニ出向イタママ同年一月十二日兵庫県川西市東多田六六三番地藪内伊三郎宅デ急死シタガ此事ニ附昭和三十年十二月五日同月七日大阪地方検察庁デ北浦つぎ同タツエノ面前デ鈴木検事ヨリ呼出サレタ藪内伊三郎ト北浦与之祐同佐内ニ対シテ「北浦茂一ト同タツエノ財産ヲ横領スル迄モ悪イガ横領シテカラモ悪イワイ誰ノ恩恵デ其様ニシテ居ラレルト思ツテルカ茂一トタツエノ財産ヲ横領シタカラジヤナイカ良イ事ガシテナイワイ決定文書偽造ト偽証ヲシタ事ニ間違イナインダナア優秀人物デアツタ茂一ハ藪内デ毒饅頭ヲ食ベサセラレテ死ンダト言フ事ガワシノ耳ニ入ツテルカトヤ?早イヤロガナ」ト言ワレタ伊三郎ト与之祐等ハ起訴猶予デアル通リニ参拾弐才デ不慮ノ急死ヲサセラレタト思ウノデアル?

法名釈元茂 昭和三十六年一月 北浦タツエ建之

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